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福岡高等裁判所 昭和26年(う)901号 判決

控訴人 被告人 菊井秀男 山田隆夫

弁護人 鶴田英夫 林信雄

検察官 長富久関与

主文

被告人等の本件控訴は何れもこれを棄却する。

理由

被告人等両名の弁護人鶴田英夫の陳述した控訴趣意は同人及び弁護人林信雄連名の趣意書に記載のとおりであるから、ここに之を引用する。

控訴趣意第一点(証拠調の方式に関する違法)について。

原判決が判示事実を認定する証拠として「証拠物件総目録と題する書面(英文受領書付)」及び「塩田悦夫の英文供述書」を挙示し且つ之等の書面と他の証拠書類とを綜合して被告人等の犯罪事実を認定しておること、そして検察官の請求にかかる各証拠調の手続として検察官は被告人及び弁護人に対し右英文の受領書及び供述書を他の証拠書類と共に順次示し且つ「英文はこれを翻訳して」夫々朗読の上裁判所に提出したこと(原審第二回公判調書第二〇丁裏)及び検察官によつて朗読せられた翻訳文は記録中に存在しないことは所論のとおりである。而して裁判所法第七四条に「裁判所では日本語を用いる」と規定したのは裁判所においてする裁判所を初め訴訟関係人の発問、供述、申立、陳述等の用語及び裁判所で発受される訴訟書類には日本語を用いるという意味であつて、外国文字を用いた書面又は外国語を用いた供述を証拠とすることができないという意味でないことは異論の余地はないであろう。そこで本件の如く外国の捜査官憲(米軍憲兵隊)の作成に係る書面の証拠調は如何なる方式で行わるべきかという点を考えて見る。先づかような書面は日本の捜査官憲が日本の法令により当該被告事件について作成したものとはいえないから、刑事訴訟法第三〇五条にいう証拠書類ではなく同法第三〇六条にいう証拠物と解するのを相当とする。従つて之が証拠の取調べは同条に従いその請求者をして之を訴訟の相手方に示させなければならない。次に本件の英文受領書及び塩田悦夫の英文供述書は書面の意義が証拠となる場合であるから同法第三〇七条に従い更にその請求者をして之を朗読させなければならない。ところでこの場合に英文そのままを朗読せしむべきか、日本語に翻訳して朗読せしむべきかというに、訴訟の相手方が英文を解すると認められるときは英文そのままを朗読せしめ又英文を解せないと認められるときは之を翻訳して朗読せしめることを要するのであるが(刑訴法第一七七条参照)之を翻訳せしめるについては、その請求者において英文を理解する能力を有するときは自ら之を翻訳して朗読することも許容されるのであつて、英文により堪能な者をして過誤のないよう翻訳をさせることが正確を期する上において望ましいことではあるが、必ずしも常に鑑定に関する手続に準じて翻訳人をして之を翻訳せしめ又は翻訳文を提出させなければならないものではなく、特に翻訳人をして翻訳せしむべきか否かは結局裁判所の裁量に委せられておるのである。(裁判所構成法第二七条参照)何故ならば鑑定は証言と同じく証拠方法そのものであるが翻訳は通訳と同じく挙証者が証拠方法を利用する場合その訴訟行為を補助し又は媒介するものに過ぎずその訴訟手続中における役割において両者の間に自ら重要度に差異が存するので特に翻訳人を付するか否かを裁判所の裁量に委せたと解するのを相当とするからである。成る程刑事訴訟法第一七八条は翻訳について鑑定に関する規定を準用すると規定しているが、これは特に翻訳人をして翻訳させる場合に特別の智識により現在の事実を実験し之を報告せしめるという点において鑑定と共通するが故に鑑定に関する規定を準用するという丈のことで、これがために外国文の証拠書面は常に必ず翻訳人をして翻訳させなければならぬという証拠にはならない。今之を本件の場合について観ると、証拠調を請求した検察官は被告人及び弁護人に対し前記「英文受領書付証拠物件総目録」と題する書面及び「塩田悦夫の英文供述書」を他の証拠と共に順次示したのであるから、被告人及び弁護人は之により右証拠書面の存在並にその様式内容を知り得たであろうし更に検察官は自己の能力により英文を翻訳して朗読(日本文は勿論朗読)して裁判所に提出したのに被告人及び弁護人は検察官の前記英文の書面の翻訳朗読に対し特に翻訳人をして翻訳せしめること又は検察官が右の翻訳文を提出することを請求せず且つ右の証拠調に異議を唱えもせず爾後の手続をすすめた経緯から見ると、前記英文書面中の意義をも納得諒承することができたものと認めざるをえない。果してそうだとすると、前記英文証拠書面の証拠調手続は間然するところはなく法令の違背はないから論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(量刑の不当)について。

しかし記録に現われた被告人等の犯罪当時の気分、職業、環境、前科の点及び犯罪の動機、手段、性質、物資の性質数量等主観的及び客観的諸事情を考え合せるとき原審の科刑は洵に相当であつて、原判決には所論のような量刑の不当はないから論旨は理由がない。

その他原判決を破棄する事由もないから刑事訴訟法第二九六条に従い主文のように判決する。

(裁判長判事 筒井義彦 判事 川井立夫 判事 櫻木繁次)

弁護人鶴田英夫同林信雄の控訴趣意

第一点原判決は、証拠物件目録とする書面(英文受書付)及び塩田悦夫の英文供述書を判示犯罪事実認定の証拠としている。右英文の受領書及び供述書が、いずれも刑訴第三百二十六条の同意書面として証拠能力ある証拠書類であることは第一回公判調書の記載によつて明らかであるが、その証拠調の手続として、検察官は、被告人及び弁護人に対し、「順次示して英文はこれを翻訳して朗読し」裁判所に提出せられて居る。(第一回公判調書、記録二〇丁裏)、即ち証拠書類の原本である英文については、之を示しただけで朗読せられていないのは、刑訴第三百五条の規定に反する。殊に日本語を用いることになつている(裁判所法第七十四条)裁判所で、英文の証拠書類を示しただけで、適法の証拠調が為されたものとすることはできないであろう。蓋し、証拠書類を示すことによつて朗読に代え得るとの見解は、示された者が日本文を解し得るものとすることの普遍的妥当性に立脚するものであるのに、英文については寧ろ反対に解すべき実情に在るからである。なお原審では、検察官は「英文はこれを翻訳し」て朗読して居る。元来翻訳を要する場合は刑訴第百七十八条により鑑定に関する厳格な規定の手続を履践しなければならないのに、右の朗読せられたものについては、その手続がなされていない。のみならず、右検察官によつて朗読せられた翻訳文は、記録中に存在しないので、実質的には、日本語によつて何が読まれたかを知ることができない。即ちそこに誤訳の存在を疑う余地があり、誤訳の朗読は、原本を示すことによる証拠調を却つて不適法化するものと謂うべきである。従つて、仮に英文証拠書類につき之を示すことによつての証拠調が適法であるとしても、本件の右証拠調の方法は不適法たることを免れないものと思料する。而して、前記証拠書類は他の証拠と綜合して犯罪事実認定の資料とせられているのであるから、右の違法は判決に影響あるものと謂うべきである。

第二点原判決が、懲役刑に処し且刑の執行を猶予しなかつたことは、記録上認められる左の情状に照し量刑不当であると思料する。一、目的物件はサッカリン四十二封度で、その性質及び量の点から見て犯情は軽微である。二、実質上の未遂行為で終つている。三、日本に陸揚すべく、既に近岸まで持来られた物であり、被告人等によつて根本的企図の為されたわけではない。四、被告人菊井は沖商として碇泊船舶の乗員を顧客とする営業に従事し居る関係上、之等の意を迎うる必要あり南道雄の積極的策動に誘い込まれたものであり、被告人山田は原審相被告人中森と共に、単に渡船についての協力のつもりであつたものが、汽船ミラマ号上において、被告人菊井の買受けたサッカリンを、同人が一人で携帯できなかつたという偶然の事情から、同人の依頼により一部携帯するのやむを得ざるに立至つての犯行である。五、両名とも改悛顕著である。殊に本件犯行により何等の物質的利得はないのみならず、菊井は引揚更生寮において、山田は為めに職を失い大分県西国東郡高田町司法保護委員広津要造氏の監督下に勤務に服し妻子(本年四月十五日次子出生)と共に只管悔悟謹慎の生活をして居る状態で、既に過分の社会的制裁を受けて居る。六、被告人等の人生は寧ろ将来に在り、今後の修練によつて善良有為の国民たることを期待せらるべきである。七、原審相被告人中森保章との刑の権衡を失する。

要するに、青年の比較的軽微な一時的犯罪に対する処刑として酷に過ぎる。

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